追突事故と中島大嘉の現在地点
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2025年7月28日、群馬県前橋市で起きた追突事故。その運転者はJ3ザスパ群馬所属のFW中島大嘉だった。本人に怪我はなく、相手方も大事には至らなかったものの、クラブは事態を重く受け止め、本人に厳重注意を下した。
プロアスリートにとって、ピッチ外での行動もまた評価の対象となる。小さな油断が、大きなキャリアの岐路につながりかねない。今回の事故は、中島にとって自らの立ち位置を改めて見つめ直す機会となった。
“和製ハーランド”と呼ばれた逸材の挫折と再生
188cmの恵まれた体躯に爆発的なスピード。かつて「和製ハーランド」と呼ばれた中島は、早くから注目を浴びる存在だった。だが、その人生は華やかさだけでは語れない。
大阪で生まれ育ち、中学1年の終わりにはうつ病を発症。学校生活のストレスや家庭環境の問題が重なり、引きこもり生活に追い込まれた。進路相談の時期には「死ぬか生きるか」の選択にまで追い込まれ、「死ぬ気力すらなかった」と語るほど心は限界に達していた。
それでも、母の存在が彼をつなぎ止めた。四人兄弟の長男として母を支えたいという思いが、踏みとどまる力になった。そしてもう一つの支えがサッカーだった。ズラタン・イブラヒモビッチの豪快なプレーや言葉に触れ、「俺もこうなりたい」と奮い立った中島は再び歩き出した。
プロキャリアと度重なる挫折
国見高校に進学後、欠席が続いたが次第に立ち直り、北海道コンサドーレ札幌への入団を勝ち取った。プロ入り後はルヴァン杯で初ゴール、天皇杯でハットトリックと大器の片鱗を示す。
しかしその後は厳しい現実に直面する。名古屋、藤枝、水戸と短期間でクラブを渡り歩き、藤枝では練習生以下の序列に落ち込んだ。引退を真剣に考えた時期もあったという。それでも諦めなかった中島は、水戸で13試合4得点を挙げ、再び評価を取り戻す。そして2025年、群馬への移籍を選び、新たな挑戦に踏み出した。彼のキャリアは、決して直線的ではない。むしろ転落と再生を繰り返しながら、その度に強さを増している。
五輪落選と心に残った言葉
さらに忘れられない挫折がある。2024年、パリ五輪のU-23日本代表最終メンバー発表。候補には残っていたが、最終的に落選した。代表活動に参加し、手応えを感じていただけに、そのショックは大きかった。
だが監督が残した「選ばれなかった者の思いを背負って戦う」という言葉に心を動かされた。
夢の舞台は逃したが、サッカー人生を諦める理由にはならなかった。むしろ「次こそは」という強い動機付けとなり、彼の心に静かな炎を残した。
「適当に頑張る」──未来へのメッセージ
現在の中島は、サッカー選手としての挑戦を続けると同時に、子どもたちへのメッセージを発信している。キーワードは「適当に頑張る」。頑張ることだけが正義ではなく、心が壊れる前に休むこと、逃げることの大切さを伝えている。学校も、習い事も、無理して続ける必要はない。
彼の夢は、母を幸せにすること。そしてサッカーで“一番”になることだ。事故も、移籍の連続も、代表落選も──すべてが彼の物語の一部に過ぎない。中島大嘉の人生は転落ではなく、再生の途中。まだ終わっていない挑戦は、これからが本番だ。
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