東京五輪で男子柔道100kg級の金メダルを獲得したウルフ・アロンが、ついに現役を引退し、新日本プロレスへの入団を発表。6月23日の都内会見ではスーツ姿で登場し、「プロレスという新たな戦場で闘う覚悟を決めた」と語った。
この「異種格闘技」的なキャリア転向は、近年のスポーツ界でも注目が集まっている。サッカーでも同様の事例がある。例えば元Jリーガーでありながら、引退後に格闘技やフィットネスモデルに転向する選手が少しずつ増え始めている。
異業種に転向した元Jリーガー7選
①五島 (旧姓:梅村) 晴貴(元富山など)
Jリーガー → お坊さん
ジュビロ磐田U-15からプロ入りし、度重なる怪我に苦しみつつもJFLで活躍後に現役引退。引退後はFCマルヤス岡崎のスタッフを経て、妻の実家である寺を継ぐため僧侶に転身。福井・永平寺での修行や横浜・總持寺での修行を経て資格を取得し、現在は法要や葬儀を手伝う日々。異例のキャリアチェンジが話題となっている。
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② 青山 隼(元名古屋、徳島など)
サッカー選手 → 俳優、歌手
名古屋グランパスでプロデビューし、C大阪や徳島でプレーした元Jリーガー。U-20日本代表では主力ボランチとしてW杯にも出場。引退後は俳優・タレントに転身し、舞台『RANPO chronicle』でデビュー。2023年には歌謡グループ「SHOW-WA」のメンバーとしても活動を開始した。
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③盛田 剛平(元広島、甲府など)

挑戦:FWでプロ入りしDFへコンバート、再びFWに → 引退後はラーメン店主に転身
190cm超の体格を活かし、プロ入りはフォワード。しかし監督の指示でDFへ転向し、最終的には再びFWとしても活躍した“超ポリバレントの職人型プレーヤー”。引退後は自ら厨房に立ち、「盛田軒」というラーメン店を埼玉・宮原にオープン。Jリーガー史上もっともスープの奥深さに迫った異種挑戦。
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④高原 直泰(元フランクフルト、磐田など)
ブンデスで活躍→ クラブ設立 → 社長兼監督兼選手 → 引退後はコーヒー農園経営

日本代表としても活躍したストライカーは、2016年に沖縄SVを設立。現役時代から社長兼監督を務め、クラブをJFLまで昇格させた。2023年に引退後は代表取締役として経営に専念しつつ、沖縄でコーヒー栽培にも取り組む農園経営者としての顔も。
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⑤ 久保竜彦(元広島、横浜FMなど)

伝説のストライカー → 山口の離島へ移住し、天然塩職人&塩コーヒー店オーナーに転身
爆発的な得点力で“ドラゴン”の異名を取った元日本代表FWは、引退後に山口県・牛島へ移住。瀬戸内の海水から塩を炊き、焙煎したコーヒーと組み合わせた「塩コーヒー」を提供する店をオープン。サッカー界屈指の野生派がたどり着いたのは、自然と火に向き合う職人の道。また引退後は独特の表現で行う解説でも人気。
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⑥安彦考真(元Y.S.C.C.横浜)
挑戦:高校卒業後に単身ブラジル留学 → 通訳・営業職を経て → 39歳でプロ契約

高校卒業後、夢を追って単身ブラジルへサッカー留学。その後は指導者やブラジル人選手の通訳、サッカースクール運営、一般企業での営業職などを経験。多彩な職歴を経てなお夢を諦めず、39歳でY.S.C.C.横浜とプロ契約し、Jリーグ史上最年長でのデビューを果たした。当時の年俸120円契約は有名。引退後はウルフアロン同様に格闘技の世界へ。“挑戦の価値”を伝え続けている。
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⑦中田英寿(元湘南、ローマなど)

日本代表、セリエAなどで活躍日本酒伝道師 → アートプロデューサー
誰もが知っている日本で最も有名なサッカー選手の1人。ただ引退後に一番何してるか詳しい人は多くはないのではないだらうか。現在は全国の酒蔵を巡って日本文化を発信する一方で、パリやイタリアで展覧会を開催するアートプロジェクトも手がける。
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サッカー選手のセカンドキャリアは、いまや「指導者」や「解説者」だけにとどまらない。YouTuberやタレント、飲食店経営、トレーナー、俳優、格闘技参戦など…ピッチの外にも“戦場”は広がっている。

