【3分でわかる】中島裕希ってどんな選手|町田の象徴が選んだ故郷・富山への道

中島裕希、2025年限りで町田退団。富山へ完全移籍

大会 出場試合数 得点
J1リーグ 101 5
J2リーグ 531 104
リーグカップ 28 5
天皇杯 33 10
国内公式戦 合計 632 109

中島裕希は1984年6月16日生まれ、富山県高岡市出身のFW。

2025年12月21日、FC町田ゼルビアは、中島が2025シーズンをもって退団し、2026年からカターレ富山へ完全移籍することを公式発表した。

町田在籍は2016年から2025年までの10シーズン。

クラブ史の中でも最長クラスの在籍年数となり、J2時代からJ1定着までを現役選手として経験している。

Jリーグ国内公式戦通算成績は、2025シーズン終了時点で632試合109得点。内訳はJ1通算101試合5得点、J2通算531試合104得点となっている。

J2での531試合出場は、リーグ史でも最多クラスの記録である。


鹿島で始まったプロキャリアと下積みの時間

中島裕希は2003年、鹿島アントラーズ加入し、プロキャリアをスタートさせた。当時の鹿島はFW陣の層が厚く、公式戦での出場機会は限られていた。

転機となったのは2006年、ベガルタ仙台ベガルタの期限付き移籍だ。2006年から2007年にかけて公式戦71試合に出場し、15得点を記録。運動量と献身性を前面に出したプレースタイルで評価を高め、2008年からは仙台へ完全移籍した。仙台ではJ1昇格、J1残留争いの双方を経験。

ここで「前線から守れるFW」「計算できる稼働力」という評価が定着していく。


山形時代に確立した“長く戦えるFW”という価値

2012年、中島裕希はモンテディオ山形へ期限付き移籍。翌2013年からは完全移籍となり、山形では複数シーズンにわたり主力FWとして起用された。

山形ではJ2を主戦場に、出場数を安定して積み重ねた。ゴール数は派手ではないが、90分を通じて走力を落とさず、守備にも貢献する姿勢が高く評価された。

この時期に築かれた「シーズンを通して計算できる選手」という信頼が、その後の長期キャリアを支える基盤となった。


FC町田ゼルビア10年とクラブの成長曲線

2016年、中島裕希はJ2へ昇格したばかりのFC町田ゼルビアへ完全移籍した。プロ14年目での加入だったが、ここからキャリア最長となる10年間が始まる。

加入初年度の2016年はリーグ戦42試合14得点。キャリアハイとなるゴール数を記録し、チームのJ2定着に大きく貢献した。

2017年にはJ2通算300試合出場を達成。同年のアビスパ福岡戦では途中出場から短時間で3得点を挙げ、キャリア初のハットトリックも記録している。

町田は2023年にJ2優勝を達成し、クラブ史上初のJ1昇格を果たした。クラブハウスも十分でなかった時代から、J1クラブへと成長する過程を、中島は最前線で経験してきた。

2024年にはJ1の舞台でも先発出場や得点、アシストを記録。2025年シーズンも登録メンバーとしてシーズンを迎え、10年目のシーズンを終えた。


公式コメントに表れた「町田での10年」

移籍発表に際し、中島裕希はFC町田ゼルビア公式サイトでコメントを発表している。

その要旨は以下の通りだ。

町田での10年間について「エンブレムを背負い、ゼルビアの選手としてプレーできたことを心から誇りに思う」と振り返った。

環境や人が変わる中でも、「町田のために」という想いが揺らぐことは一度もなかったと述べている。

また、クラブハウスもない時代からJ2優勝、J1での上位進出、天皇杯優勝まで、クラブの成長過程に携われたことを「かけがえのない財産」と表現した。

このコメントからは、退団が対立や不満によるものではなく、一区切りとしての決断であることが読み取れる。


中島裕希が富山にもたらす現実的な価値

中島裕希のカターレ富山加入は、象徴性と実務性を兼ね備えた補強といえる。J1・J2で600試合以上に出場してきた経験は、若手主体になりやすいチームに明確な基準をもたらす。

得点数以上に価値があるのは、前線から守備強度を落とさない点だ。走力、立ち位置、試合運び。これらは短期間で身につくものではない。

一方で、41歳という年齢を考慮すれば、フル稼働を前提としない起用が現実的になる。出場時間を限定しつつ、チーム全体の質を底上げする役割が求められるだろう。

23年に及ぶJリーグキャリアの最終盤。中島裕希の選択は、数字以上の信頼と経験を故郷へ還元する決断だったと考えられる。


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